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布の豆知識
ここでは,布に関する話をアトランダムに書きつづけてゆくつもりです。
布のおもしろい話などのメールをいただければうれしいいです。

第一回   糸             
織物は経糸と緯糸を交差させることで2次元的な平面をつくることでできあがります。
したがって、糸が必要です。
糸は動植物から採取される細長い繊維を引き揃えて束ねて、さらに強さを出すために撚りをかけてつく られます。素材別に糸の作り方は下記のとおりです。
また繊維とは直径の100倍の長さをもつもののことだそうです。
@木綿
綿の実がはぜてでてくる白い綿状のものは、たくさんの繊維のかたまりです。
その一本は3センチ前後で、太さは12〜20ミクロンです。(1ミクロン=100万分の1メーター、1千分の1ミリ)
顕微鏡でみると、扁平で螺旋状にカールしています。なかは空洞です。
従って、綿は保温性、吸湿性にすぐれています。
これらの繊維を引きそろえながら、適当な太さで撚りをかけながら、長い一本の糸にして
行く作業を
紡ぐーつむぐーといいます。一本一本がカールしているのでしっかりと繋ぎ合うのです。
木綿はインドなどでは5〜6千年の歴史がありますが、熱帯、亜熱帯性気候の植物のため、日本では江戸時代の初め頃から栽培がはじまり、庶民が手にすることができるようになったのは、江戸も後半頃でした。以外と日本での歴史は浅いのです。

Aウール
羊毛は8千年の歴史があります
羊毛を原料にするウール糸も、木綿と同様に紡いで糸をつくります。
一本の繊維は5cm〜12cmで、太さは16〜40ミクロン、クリンプと呼ばれる捲縮があります。
よくからみあうので紡ぎやすいわけです。湿ると縮むのもクリンプの性質からきています。
日本はもともと羊毛文化はありませんので、洋式文化の流入が始まった明治以降から生産されるようになりました。

B麻
麻の歴史は相当に古く、BC3500年前のピラミッドからも麻の織物が発見されています。、
亜麻、苧麻(ちょま)、大麻、藤、楮(こうぞ)といった靭皮繊維は、幹,茎、葉の部分を細かく引き裂いて繊維を採取します。綿の繊維と異なり繊維は直線的ですので、これを長い一本の糸にするには、指先で繋ぎ合わせる繊維の先端を丸めて絡め合わせる作業をします。
これを
績むーうむーといっています。
日本では、苧麻(ラミー)が昔から栽培され、越後上布、能登上布、近江上布、薩摩上布、奈良上布など各地の伝統織物として知られています。
亜麻は亜寒帯の気候で育ち、ヨーロッパが主産地です。
日本の庶民は江戸時代の後半までは、織物といえばこうした靭皮繊維からつくられるもので身をくるんでいたのです。たいへん放湿性がよく、こわい肌触り夏はいいのですが、冬には保温性の低い麻ではさぞ寒かったでしょう。
初めて木綿を身につけた時の感激はいかばかりであったでしょうか。
紡績とは、綿を紡ぎ、麻を績むということを意味しています。
余談になりますが、いま大麻を食料、地球環境面から見直そうとして、啓蒙活動している方がかなりおられます。大麻というと、麻薬というイメージになってしまう方が多いと思いますが、最新の医学的研究では従来とは異なった見解が発表されているようです。gooで大麻を検索するといくつかのホームページがありますので、ご覧になってみてください。

C絹
絹は紀元前2500年程前、中国の時の皇帝のお后によって偶然発見されたと言い伝えられています。しなやかで、光沢があり、全世界の人々の垂涎の的となり、中国と西方諸国の貿易路がシルクロードとよばれたのはご存知のとおりです。当時たいへんな貴重品であり、金以上の価値があったといわれています。
絹は蛾の種類の蚕の繭からとれる糸で織られます。
繭は養蚕される家蚕(かさん)と、野生の野蚕があります。
とくに春にめぶいた桑を食べて育った家蚕がつくる繭は春繭とよばれ品質のよいものです。
一つの繭からは1500mほどの糸が絡まりもせず
引き出され、そのうち前後合わせて500mほどは除いて約1000mを原糸として使用します。
紡ぎも、績むせずに細く長い糸がとれるのですが、実際はあまりに細いので、
通常7本を束ねて撚りをかけて、一本の糸にします。
撚りは、例えばお召しの横糸では、1mあたり2500回の撚りをかけています。
それがお召し独特のシボをつくるわけです。
ただ、繭のなかにも出来の悪いのもあり、太さが均一でないとか、ぐずぐずに切れているような繭からとれる糸ばかりをあつめて綿状にして、−真綿とよばれますー紡いで糸をつくったものを紬糸といいます。
紬ーつむぎーとよばれる着物はこの糸を使ってつくられるのです。
日本では、3世紀には養蚕が行われていたことが、中国の魏誌倭人伝に書かれているそうです。
しかし、絹を着られたのは支配者層や富裕者で、一般庶民が絹を着られるようになったのは、明治以降のことです。
優れた糸の条件が細く長く柔かく均一な太さにあるとしたら、天然素材では絹に勝るものはないでしょう。
絹は人の体と同じ蛋白質からできており、かつ吸湿性、放湿性にすぐれています。
直接肌に触れる下着にはもっとも優れた素材でしょう。

D再生繊維
19世紀繁栄を誇った英仏は需要に対し供給の少ない絹を何とか人工的に作れないか研究をかさねてた結果、1884年フランスのシャルドンネがついに
レーヨンの工業化に成功しました。
これは、初めは蚕の餌である桑の葉や幹を薬品処理するなど実験をかさね、木材を原料として作り出されたもので人絹とよばれました。
1904年英国で
ビスコースレーヨンがつくられました。これは木材パルプを原料にしてこれまでよりコストを安くすることができる製造法で、レーヨンの普及がすすみました。
日本も昭和初期は世界第2位の生産国でした。
原料に綿の実から繊維をとったあとの付着している細い短い繊維、コットンリンターを使い、レーヨン製造法でつくったものに
キュプラがあります。製品はベンベルグとよばれ今日に及んでいます。
裏地などよくつかわれています。
また原料はレーヨンと同じで、酢酸で処理して、つくられるものにアセテートがあります。
アセテートは、レーヨンより絹に似た感触と光沢があり、アイロンによるプリーツの保持性がよく熱可塑性があります。

E合成繊維
自然の木材やコットンリンターをまったく用いない科学的に合成された繊維です。
1938年米国デュポン社による
ナイロンがはじめて企業化され、合繊時代の幕開けとなりました。
ところでナイロンの名の由来は日本の当時の農林省といわれています。ナイロンが生まれるまで、米国は日本の絹を農林省の管理のもと輸入していて、ナイロンが生産されると、絹の輸入が必要なくなりNO農林、すなわちナイロンとなずけられたと言われています。
1950年には
ポリエステルが生産されはじめました。これは麻の繊維を真似たものといわれ、シャリ感と腰があり、プリーツ性に優れています。染色性は悪いのが欠点です。
同じ年に
アクリルが生産販売されています。これはウールの手触りと風合いをもった繊維です。
ナイロンの出現以来60年、天然繊維に少しでも近ずけようとする技術はほぼ完成したとみられています。

第二回 布って?   
糸は一本の線ですから、これを衣類などに利用するには、二次元の広がりをもった面にしなければならいのですが、これにはいくつかの方法があります。
@
編む
一本の糸でループを次々と絡み合わせながら作り面の広がりをつっくて行く方法です。
交点が直交していないので面としてはズレやすいのですが、それが編物の伸縮性という特徴になっている訳です。
女性が編み棒で毛糸を編んでいる風景は、最近はほとんどみかけませんが、
昔はそちこちでみられましたものです。
道具が棒だけですので、織物のように機台を必要としないので、証拠はありませんが織物より歴史は古いのではないかと考えられます。
A
組む
複数の糸が斜めに交差することで、紐状或いは面を形成する方法です。
組物は比較的細幅のものとして作られます。真田紐などが有名です。
B
織る
経(たていと)と緯糸(よこいと)が原則として直角に交差して、面をつくっていく方法です。
機台を使って幅広く、長い面が作れる方法です。
布とは織ることによってつくられる面状のものいいます。
紀元前から近世にかけ織物の技術先進国は中国でした。
日本も近世までは中国から技術を教わってきたのです。

ところで、「布 」とは昔は麻、木綿、藤、楮などの植物繊維からつくられる
織物をいい、「帛」は絹織物のことをさしたそうです。
天然素材による織物全体をさす言葉は「布帛」というわけです。
ちなみに「上布」ーじょうふーという言葉をご存知ですか。
麻の上等な織物のことです。「越後上布」「宮古上布」と地名でよばれています。
今日「布」或いは「ぬの」といえば、素材に関係無く織物の総称として使われて
いるみたいです。

織物はもちろん、もともとは防寒のため身につける目的で生まれたわけです。
しかし人類史にとって織物が生まれたのはそんなに昔ではなく、といっても
紀元前5000年ほどといわれていますから7000年も前ですが。
ちなみに
地上最古の織物は古代エジプトの麻布といわれています。

それ以前は織られていない布、つまり不織布がつかわれていました。
毛皮、革、魚皮、樹皮,フェルトなどです。毛皮,革はいまでもファション素材として使われているのはご存知のとおりです。

魚皮衣としてはアイヌの鮭の皮でつくったものものが東京国立博物館に収蔵されて
いるそうです。

羊毛文化圏では、羊毛などの獣毛から作られる「フェルト」が昔々から作り続けられてきています。獣毛が水で収縮する性質を利用したものです。
正倉院には中国から舶載された多彩な文様をあらわした「毛氈」が伝えられています。

樹皮衣は樹皮をたたいて布状にのばしたものですが、いまでもアフリカ、インドネシア、ポリネシアでつくられています。その上に描かれた文様もエキゾチックでおしゃれな飾りとしてインテリアにほしい逸品ですね。

第三回  原始布             
原始布は、名前のとおり縄文、弥生の時代から日本で作られてきた布のことです。
山野に自生する藤、科(しな)、楮、大麻、葛、苧麻など草木を原料にして、これらを裂いて手で績み、糸にして、いざり機で織り、衣装を作る自給自足の生活は近世まで、地域によってはほんの最近まで続いていたのです。これらの原料を糸にし、布に織るにはたいへんな時間と労力が消費されます。昔の人の厳しい生活が衣装からも思い巡らされます。
いろいろ経験と工夫で品質は時代とともに、良くなっていったのでしょうが、服としては、がさごそしてけして着やすいものではありません。夏は涼しいのですが、冬は厳しいことだったでしょう。東北地方には、これらの原料で紙を漉き、紙を裂いて、糸にして織った紙布があります(東北の新庄地方など)。けっこうやわらかくあたたかいものですが、耐性がありません。

絹はかなり昔から日本でも生産されていましたが、一部支配層のみが独占していました。
木綿が庶民に着られるようになってきたのは、江戸時代も中頃以降です。それも西日本が主でした。木綿は寒い地方では生育しないのです。すこしずつ寒さに慣らしながら何百年もかかりやっと日本でも栽培できるようになったのです。木綿栽培が出来ない厳寒地方の人が木綿に寄せる思いが木綿糸の刺子やこぎんになり、裂き織になったのです。
裂き織とは、さんざん着古した木綿布を裂き、緯糸にして織り込んだ厚手の布で、それほど大切に使ったのです。木綿の栽培が普及し、交通網が発達するとともに木綿を着ることが日常になるとともに原始布の機音は消えていきました。
布古墳から発掘された布
現在ではほんの一部の地域で技術の伝承が保護され、ほそぼそと生産されています。
藤布は京都府の丹後半島あたりで、科布は新潟県、山形県の山間の地でいまでもつくられています。京都府宮津市にある丹後郷土資料館、山形県米沢市にある古代織参考館などで資料がいろいろみれます。下のアドレスは、科布の産地のホームページです。
 http://www.shinsyoren.or.jp/sanpoku/shinafu/shinafu_d.htm

最近丹後半島に行ってきました。半島の北側付け根には有名な天橋立があります。
その半島の山奥では、最近まで藤布が作り続けられていたそうです。
山奥といってもいまでは、道路が整備されて、海沿いのメイン道路から15〜20分で着いてしまいます。上世屋といい、冬はかなりの豪雪地帯ということです。下の写真でお解りのように屋根が急斜面です。ここで女性達が生活のために戦後もしばらく藤布を作っていたそうです。
海女の人が海の中で採った貝などを入れるのに持っている袋は、藤布が大変使いやすいのだそうです。しかしそうした需要も、安い代替品がどんどん出回るようになり、自然消滅していまでは伝統工芸保存の観点から、技術伝承者を養成しており、そうした方が技術を伝えてゆく活動をしているそうです。
最近の自然志向から、こうした製品の評価が見直されてい
るはずで、たんに昔のものをそのまま作るのではなく、現代人の嗜好にあったデザイン、色に配慮すれば、十分に産業として成り立っていくはずです。
当店もそうした考えから、科布製品展、藤布製品展を企画しました。
        平成14年4月〜 しな布作品展 日傘、バッグ、帽子などが大好評でした。
   平成14年7月〜 京都丹後藤布作品展 

      現在の上世屋の部落(2008年8月末)

 
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