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第四回  きもの考
ものを呉服ということがあります。奈良時代以前、衣装のお手本は中国でした。
当時の北方中国は、襟のつまった盤領(あげくび)で筒袖の胡の服で、南方中国は合わせ襟の
垂領(たれくび)で広袖の呉の服でした。当時の日本は両者が併用されていたようでしたが

着物が合わせ襟の小袖の時代を迎え、呉の服、呉服と呼ばれるようになったようです。
小袖
 平安時代以来の公家の衣装の表着(おもてぎ)は、袖口が大きく開いていて、袂(たもと)
が袋になっていませんでした。これを「大袖」と呼ぶのに対し、その下に着る衣服は、袖口が
小さかったことから「小袖」と呼ばれました。大袖が公家の男性など、ごく限られた人にしか
用いられなくなる一方で、袖口が縫い詰められて袂が袋になった小袖が、表着として一般的
になります。そして、衣料全般を指す「きるもの」=小袖という感覚が生まれ、今日、小袖形の衣服を「きもの」と呼ぶ下地になっています。

平安・室町の小袖
日本の服飾は奈良時代までは、中国の影響が強く、平安時代になって、遣唐使が廃止されて、
長期の鎖国により、いわゆる和の文化が本格的に生まれてきたといわれています。
いわゆるきものもこの頃登場してきました。
小袖は平安時代後半ごろより、公家、武家の大きな袖をもつ装束の下着に用いられていましたが、次第に装束がシンプル化するにつれて、表着として着られるようになってきました。
特に女性は、中世には袴が省略され、男性より早く小袖の表着が進んでいたようです。
室町時代後期には男女の略装として定着して、さまざまな装飾が施されるようになり、以降小袖は明治に洋服の普及がみられるまで服飾の中心となっていました。

桃山の小袖
信長、秀吉により戦国時代が終わりを告げ、都にようやく平和がおとずれ、人々の気分は開放的になり、小袖も唐織、繍箔(ぬいはく)、辻が花など当時最高の技術が駆使された絢爛たるものが作られました。いまでも現存しているものがあり、美術館等でご覧になれます。
小袖が衣装の中心になってくると、衣装の加飾も織から染めに比重が移っていき、桃山はその
過渡期であり、織、繍、染が拮抗するかのようにその華麗さを競い合った時代でした。
小袖は非常にシンプルな着物であり、単調な文様の繰り返しとなる織よりも、自由に多彩な絵文様が描かれる染めや繍が使われるようになっていったものと思われます。

またこの時代は南蛮貿易により新しい染織品がたくさんもたらされました。
更紗、縞物、縮緬などはこの時代に多く日本に入ってきました。

この時代の武将やその夫人の肖像画が残っており、そこから当時の服装がよくわかります。
武士の公服はいわゆる裃となり、その下に小袖を着ています。夫人たちは小袖をかさねた打掛姿や小袖を腰に巻いた姿が描かれています。
都の庶民も普段に小袖を着用していたことがわかります。女達は色とりどりの小袖を着、男も小袖に袴姿が多く、なかには小袖の着流しが描かれています。

都の庶民
女性は小袖に紐状の帯を結ん
でいる。太い帯は江戸になって
から生まれた。
男性は小袖に袴を着けている。
武家の夫人像
辻が花染めの小袖
細い帯を二重に巻いて前で結
んでいる。
唐織の小袖
袖巾が狭い。
辻が花染めの小袖

慶長から寛永のころの小袖
1603年家康が天下をとると、桃山のおおらかな気分が微妙に変化して、文様は細かに、全体的におもい色調になった小袖が登場してくるようになります。
この頃都に出雲のお国が現れ、新体制に反発するかぶき者の支持をえてかぶき踊りが人気を呼び、これはやがて、遊女かぶきとなり都の巷にひろがってゆきました。かぶき者と遊女が時のファッションリーダーとなった時代でした。都の人々は政治の中心が江戸に移った事で新時代への不安を感じ、その反作用が踊りや遊びにかりたてたのでしょうか。
後水尾帝に入内した2代将軍秀忠の娘和子がその財力で呉服商雁金屋を贔屓にして、何百枚もの衣装を注文したのはこの頃です。かぶき者や遊女が好んだデザインが御所の小袖に取り込まれて、それは御所スタイルとでもいうべき、大きな菊花や車輪といった大柄の文様が右身頃一杯に描かれいます。
これが、次の寛文以降の代のファッションの担い手である町人に受け渡されていきました。

いずれにしてもこの時代が小袖のファッションの最盛期だったのではないでしょうか。
これ以後いろいろな規制をうけ、小袖は窮屈なものになっていきます。
寛永も後半には、身幅と袖幅がほぼ同じ長さになる現在の様な身幅の狭い小袖に変化してきます。
また加飾も織物主体から染め主体に移っていきました。

遊女かぶき
ファッショナブルですね。
衿元はマフラーのよう
なものがまかれている
のでしょうか。

遊女かぶき
小袖を腰に巻いています
遊楽図
まだまだ華やかな気分が溢れて
いますが、やがて幕府の規制を
うけ、定められた地域の遊郭のな
かへと押し込められていきます
染め分け小袖
それまでの左右対称から変化が
みられ、袖から背に大きな曲線を
描くように描かれています。
また金糸の刺繍がこの頃
からみられるようになりました。

寛文〜元禄の小袖
幕府開府から半世紀もすぎると、幕藩体制が整い、農村の生産も上がり、都市も次第に賑わいをみせてきた時代です。商業都市大阪、大消費都市江戸、そして京都は織りや染めの技術を集約して、ファッションの発信地となってきた。貨幣経済の進展とともに町人たちが力をつけ、新たな文化の担い手として登場してきた時代です。
元禄の頃は江戸や大阪の豪商が豪華な小袖を競ってつくり、女達にきせました。
紀伊国屋文左衛門などが活躍した時代です。
左袖から右袖、右身頃、裾と大きく逆Cの字形に模様が描かれるのが大きな特徴になっています。
また有名な友禅染めがうまれた時代でもあります。京の有名な扇絵師宮崎友禅がはじめたものといわれます。
友禅染めは宮崎友禅のデザインになる小袖文様のことでしたが、そのデザインが廃れてくると、友禅染めはそのデザインを可能にした染技術のことをさすようになりました。それは、防染のための糊の新技術でした。

寛文小袖
寛文帷子小袖
帷子(かたびら)とは麻地のこと
友禅染小袖
画期的な技術革新となった
糸目糊を使って、細かな描線
が描けるようになり、絵を描くよ
うに自由に色を挿すことが可能
になった。小袖をキャンパスに
みたてた絵画模様の染小袖が
本格化していく。


光琳文様の小袖
裾文様・裏文様の小袖
近代の小袖

着物の着付け
いま街を歩いていて着物を着ている人をみかけるのはまれです。お正月ですらほとんどみかけません。
結婚式、、成人の日、お茶会といった公の場所でやっと見かけるといったところでしょうか。
いまや日常では着物を着る人は皆無といっていいでしょう。きものは特別なものになっています。
例外は、夏の花火、盆踊りの時期の浴衣です。
京の祇園祭りのおり、若い人がミニ浴衣を着ているをみましたが、着物のいろいろな決まり事を気にせずに自由に楽しめるのは唯一浴衣なのでしょう。
着物をきっちと着こなしている方をみると素敵だなと思います。、着物の正式な着付け法、作法、TPOにおける色・染め・織などの決め事は着物の文化として後世に伝えていくべき大事だとおもいます。
しかし、日常の生活からまったくきものが消えてしまうのはますます日本文化が希薄なものになってゆくようで残念なことです。グローバルな世界になってきたから逆に日本、日本人としてのアイデンティティがだいじになるのではないでしょうか。たまには、日常で着物を着る習慣をもちませんか。
着なくなった原因は、着付けの面倒くささや、機能性が低いことや、価格の高さ、住宅の洋風化などでしょうか。
価格のことはさておき、着付けのあの煩わしさと着付け後の、見方を変えれば、堅苦しさにはたしかに日常性はありません。普段に着る人がいなくなるのは当然のことでしょう。
もっと簡単に、楽に、運動性もある着物の着方がないのでしょうか。

当店も古布、古着を取扱いだしてから、着物に興味をもち、勉強のため古い絵画の写真をみたりして気が付いたことがあります。 それは戦国時代が終わった桃山から江戸の初期にかけての若者や女性の着物姿です。
とくに,当時のファッションをリードしていたかぶき者とよばれた若衆や遊女達です。
この時代頃から小袖が表着として、登場してきており、小袖の着物姿がたくさん描かれています。
ようやく迎えた平和の時代への期待感、開放感が随所に感じられるおおらかな絵がたくさん残っています。
皆さんもぜひご覧になってほしいのですが、じつにさらっと、気持ちよさそうに着ている姿が、描かれています。
この時代は日本のルネッサンスともいわれ、絵画、陶器、衣装などの工芸や茶道が花開いたときでありました。
真の日本のオリジナル文化が生まれたといわれています。
この後封建社会の規制が強まっていきます。
いま日本は規制緩和の時代、時期はぴったりです。桃山の小袖の着方を研究、工夫して、もっと着物を着てみませんか。

研究者たちの成果から当時の小袖のついてはつぎのようなことがわかっています。
@小袖はもともと下着であり、特に武家は甲冑の下に付けていたので、身幅がゆったりとしていた。 表着となってからも、その傾向が残りゆったりと仕立てられていた。
A袖も短めであった。
Bおはしょりの習慣はまだなく、着丈で仕立てられていた。作業着としては、膝丈のものもあった。
C帯は紐状のもの、あるいは細帯を使っていた。
そして、着付けについては、
  ゆったりと、はおるようにきていた。
  帯は、下腹に結びおなかを開放していた。
  
こんな小袖と着方をしたら、着物がもっと日常的になるとおもうのですが、いかがでしょう。
何年か前、女優の三田佳子さんが着物の襟元から、T−シャツをみせた着つけ姿で記者会見をしていましたが、早速うるさ型のおばさま族から、みっともない、だらしがない、といった批判がでたことを思い出しますが、(もちろん素敵な着方と賛同した人も多かったでしょうが、世の常で声の大きなほうが目立ってしまいます)
こうした抵抗勢力にめげず、臆することなく、普及させられるのは、若い女性たちでしょう。
価格もリーズナブルになるように、例えば
  ・素材を工夫してみる。高い絹をさけ、木綿を使うなど。 
  ・環境にやさしい合繊が今後いろいろ出てくるでしょうからそれを使うことも選択肢です。
  ・すべて単にする。寒いときは、重ね着で対応することができますし、たとえば、下の
   遊女かぶきの女性の上着のような着方をすれば、下の小袖がみえて楽しいという効果も
   ります。
  ・下着、履物の工夫。 襦袢や下駄、草履の他、普段着の着物なのですから、下着は     t−シャツ、スッパツでいいわけです。靴をはいてもいいわけです。
   洋装のものとのミックスも選択肢です。

   
当店もいろいろ研究して、小袖を皆様に提案してゆきたいとおもっています。

遊女かぶき
当時のファッションリーダー。
小袖の上に着ている短袖、
膝丈のグリーンの上着が素敵
ですね。ロングネックレスを
つけている。
右図の若者達の衣装に明らか
に影響を与えているのがわか
ります。

花下遊園図の一部
当時の流行の衣装をきた若衆
彦根屏風の一部
隣の女性は当時はやりの洋犬を
連れている。